今日の午後1時半から井手町にて老人福祉センター(玉川の前)で
「井手町の歴史を探る研究会」があった。参加者13人という小さな会である。
参加者の大半は古老の人が多かった。

今回の発表者の宮本さんの勧めもあり初めてこの会に参加した。

井手町と私の縁は、佛教大学の修士課程修了後井手小学校の先生となる。
5年生と6年生を担任したその時のPTAの会長が宮本さんであり、
その子供を教えるはめになった。昭和49年の話である。
宮本さんは町議5回、京都府神社氏子総代会の議長を3年務め、
現在は井手町歴史を語る宣伝役を為されている。

ここ数年は、京都新聞に数回載り、

梅原猛先生を軽トラックに載せて井手町を案内された町の名士である。

この世は全て原因結果の世界である。易では後天盤の世界だ。
その奥に後天を成立せしめる原因の世界がある。
易ではそれを先天・元極と名付ける。

宮本さんと私の付き合いは今生では、その長男の息子さんを通してである。
その先天玄極は果たして如何なる縁であろうか。

その出会いを成立せしめるエネルギーは、先天玄極という「過去世の世界」が
大きな比重で絡んでくる。一般常識から見れば雲をつかむような記憶のない世界を
相手にしなければならない。相当手こづる困難な世界ではある。

では宮本さんと私との過去世の出会い・縁は・・・・・・である。
故に縁が濃く、二人の関係は40年後の今も親しい付き合いがある。
故にこの世の自己の生と過去世この二つの現象を結ぶのが地縁、
即ち日本の大地のムスビだ。

故に人間は大地(日本国)を大切にすることによって、
自分の人生を開く事が出来る。その延長線上に産土神社がある。
人間がこの世に誕生するにあたりその産婆役が産土の神様である。

会が始まって直ぐ大阪の岡田さんから携帯に電話があった。
贈呈した神代文字研究資料集1のお礼の電話である。
このシンクロはどのような意味があろうか.

大変興味深い話をされる4、5人の古老の話の終り頃
「井手町の噂(井手町商工会編)」の本を宮本さんから頂いた。
さっと読んで見ると、その中に「康治2年(1143)の井手町の絵図」

によると聖徳太子の御子山背大兄王子の邸宅が井手町の王山という場所にあったらしい。

約千年前の絵図と現在の地図を照らし合わせると井手町井手
「尾ノ山」というよく似た呼び方の地名がある。

更に小倉百人集を纏めた藤原定家の家系である冷泉家の書物に
「小野小町69歳にて井手寺にて死す」という文あり。
井手寺は聖武天皇の左大臣で万葉集の第一の編者である
橘諸兄により橘市の氏寺として建立された七堂伽藍の寺である。

古くは縄文時代に始まる井手町の歴史・・・奈良時代、
この地に住み井手寺を建立した左大臣橘諸兄。
井手寺で晩年過ごしたとされる平安の女流歌人の小野小町等は興味深い。

聖徳太子の一族は、政変に巻き込まれ一族皆殺しにされたと歴史に示されるが、
井手町に郎党が逃げ延びた可能性がかなり高い。
それは旧事本紀大成経を研究する者にとっては重大事項である。
その課題は聖徳太子の一族と橘諸兄の関係の究明である。
時空間はわずか200年。

聖徳太子研究者の本を読んでみてもこの点の追及が全くされてない現状である。
今後の大きな課題である。
王山のことは20年も昔に宮本さんからその地図を頂いて聞いていたが、
その時は全く興味がなかった。是も大成経が導く一つの縁か。
2015年2月17日