古事記・日本書紀・旧事本紀大成経・秀真比較その1 

平成28824日(水)東大阪市青少年センターPM7時から

いよいよ崇神天皇の比較研究が始まる。第62回神道同志会はその先駆けである。三書の比較研究終了後、大成経と秀真の比較研究をもってこの章を終わる。

三書をさっと読み、いくつかの問題提起をする。これは古事記・書紀だけでは問題提起ができない。そこに大成経を加えて3D的な理解が生まれ問題提起が可能となる。

問題提起

1 年号の問題

大成経崇神記では即位元年から68年間の天皇政治をもって
68年目の冬12月に120歳をもって天皇はお隠れになる。
この間68年間における毎年の記録が大成経は記録する。

古事記では年号等は全くなし。
ただ戊・寅年の12月に崇神天皇がお隠れになったということのみである。
日本書紀は即位元年から始まり68年の冬の12月にお隠れになったという。
120歳である。そのお墓は山の辺の道にありこれは古事記と同じ記録である。
大成経も68年の冬12月に120歳でお隠れになり、
お墓は古事記 日本書紀と同じ山の辺の道にありと記す。

古事記は年号が全く書かれていない。
ただ簡単に崇神天皇が世を治めた事柄を簡単に書いているのみ。これはなぜか。
29か所の斎宮、斎宮をへて最後に天照大神が伊勢の地に落ち着かれるのであるが、
その第一歩は崇神天皇の御世から始まる。
29か所のお宮を線で結ぶと伊勢五十鈴クシロの完成となる。

もう少し詳しく云うと御杖代が廻られた29か所のお宮は、
皇女トヨスキイリヒメが天照の御杖代の第一人者であり、
倭姫は「その神がかりの業績」を9歳で受け継いだだけである。
ではなぜ伊勢神宮に崇神天皇およびトヨスキイリヒメの
元祖のお宮が存在しない理由はなぜか。

2 崇神記神懸かりの記述

天皇と皇女達の神がかりの崇神記全内容を100とすると、
古事記は10%前後、日本書紀は50%ぐらいしか書かれていない。
この点、大成経は全て書かれている。
これは三書を比較してやっと解けた崇神記の大きな問題である。
まだ誰も手を付けず未解決の内容である。

神がかりの内容を90%薄めたのが古事記。
50%薄めたのが日本書紀。これは大成経をもとにしての判断である。
普通に考えれば古事記の方が神がかり的な内容が多く、
日本書紀は少ないと誰しも簡単に考えるであろう。

それは古代の伝承記録を稗田阿礼が口に唱え語り、
それを太安万侶が筆記するという形で712年に古事記が完成したと云う。
古代の大王家の神がかり的な伝承内容が多く残っているのが
古事記であると仮定するならば、それに反して古事記の神懸かり内容はその内容は、
大成経から比べると大変少ない。

古事記は何処かで誰かに書き換えられたのであろうか。
古代の元古事記?は大成経が語るごとく、
その内容は「神がかり的な内容」で統一されていたのではないかという疑問が生じる。
天皇家は日本唯一の神懸かり一族の系譜の連続である。
それは、昭和天皇の事績からもよく解る。では誰がその内容をカットしたのか。

何の為に。この発想は、大成経崇神記がなければ
日本書紀・古事記の 崇神記だけでは無理である。

次に日本書紀ではあるが、今日までの研究において倭ヒト数名と
あちらの人数名のチームワークの混合で書かれたとされる。
勿論全内容に至っては、「一書に曰く」形式で統一的に書かれている。
そこには日本書紀が諸外国向けに作られたこの時代の
日本政府の歴史的公式文書ものであるとする今日的な進んだ学者の説がある。

とするならば、なぜ理解困難な神がかりの内容を
天皇家の神話歴史記録である古事記より日本書紀に
数倍多く含まれるその理由は何か。
訳のわからない(解る方はわかる)神がかり的なものを省いてこそ、
理性的な日本の歴史公式文書となるのではないか。

3.国宝とは

古事記崇神記は年号が消されているのが一つの特徴である。
日本書紀においては出典が消されているのが大きな特徴だ。
出典を書いていない大学卒業論文では全ての卒論、修論、博論は不合格となる。
それは論理筋道を明らかにする原点が書かれていないからだ。
古事記も日本書紀も含めてこれが日本歴史上の国宝なのかと云う疑問点が生じる。

これを消した人物は藤原不比等か?藤原不比等一人なのか?

これはまだまだ推定推論?ではあるがその部分を大成経崇神記で判断すると
一書の内容と原点が見えてくる可能性がわずかであるが見込まれる。

「昭和天皇の鎮魂帰神行法(神がかり)は凄いものがあった」と
ある人から伝え聞いている。久邇の宮家が持つ「おお祓いのアマツ神天神祝詞」がある。
私は今年8月11日に毎年一回国宝下賀茂神社の神庭で行われる古書市においてこの祝詞を入手した。
誰でも入手できる。

日本国体の真意は日本天皇が神がかりし、
世界天皇となり、世界人類の平和と幸福の実現の為に神界の神に問い、
その方法論としての神伝えを政治に生かすということに記する。
崇神記の中心軸はまさにそのことが書かれている。

故に天皇は象徴ではなく日本の元首である。
この天皇の地位が日本から消えると後30年も経ずして
日本民族はこの地上から消えてしまうとの愁いを奥さんに語られ、
未来を予定することができる優れた日本人の中に司馬遼太郎氏がおられた。

第1回目は問題提起と崇神記の中核と日本の国体のあり方、
天皇のあり方、神懸かりの様子が崇神記に明確に残されているということを
更に詳しく語ったのが第62回目の神道同志会である。

来月9月28日(水)は第2回目の崇神記をやる。
3書の内容をその道順に沿って述べていく。

特に崇神天皇記元年から10年までの内容に触れる。

2016年8月26日