期日 平成28年11月23日(水)
時間 午後7時15分から9時15分 場所 新大阪ココプラザ
内容 崇神天皇その2
前半 言霊発声法その2
後半 大成経・秀真・古事記・日本書紀四書の比較研究と阿波古事記。
全国で初の比較研究を試みる。
・「ア音」を中心にして五段階の発声練習、そこに手振りを付ける。
今回は第2回目である。
古事記は崇神天皇の全ての項二渡り年号なし。
ただ簡単にその年の出来事を述べているだけである。
その述べ方も4書の中では一番簡単だ。
4書の中で崇神天皇4年目まではホツマツタエが丁寧に様々な出来事を記している。
天皇は19歳で皇太子の位に付く。これは4書同じだ。
ただ皇太子(19歳から51歳)時代に4人の子供達がいる。この件はホツマのみ。
崇神天皇の皇子女は古事記では12人であり、他の3書では11人である。
ミマキ姫の子ども「イガ姫」皇女が古事記では一人多い。
この理由は如何に。11人の子ども達ではその中に崇神天皇皇太子時代に
生まれた4人の子どもが含まれる。
ホツマによれば、長女はトヨスキイリヒメが初めてのお子さんである。
2番目の子はヌナキイリヒメ、3番目は倭ヒコ命。
4番目は八坂いりひこである。其々母親は紀州の国造り、尾張の国造りだ。
やさかいりひこの母の「やさか姫」の出どころはわからない。
やさか姫は未婚の母か?この11人の皇子女の血統が恐らく
2千年後の我々日本人の血の中にその皇子女達のDNAが隠されているのではないか。
崇神天皇の11人の皇子女の長女はトヨスキイリヒメである。
これはホツマのみ。皇女トヨはアマテラスの第一の御杖代(みつえしろ)である。
その姪が倭姫だ。お二人は40年間懸かりながら、
アマテラスの光の壁―即ち五十鈴の50の三角形の光の結界―を創るのである。
他の3書に描かれていない長女トヨスキイリヒメとするのはホツマだけであり
この点は非常に大事である。
伊勢神宮の伊勢神宮創建に関わる第一人者が、崇神天皇。
次が皇女トヨ姫、次が皇女倭姫ある。
崇神天皇とトヨ姫をお祭りする社が伊勢神宮にないのは何故か。
しかし、ホツマにも書かれていない大成経のみが教えるのが
崇神元年から崇神68年の天皇がお隠れになるまで、
毎年の出来事の記載がなされているのは大成経のみである。
大成経は68年間の出来事をもれなく記している所に一つの価値を見出す。
更に大成経は他の3書が伝えていない大事な崇神天皇崩御時の祭主は
皇女トヨスキイリヒメであるとする。
崇神時代の長女「皇女トヨスキイリヒメ」の神懸かりの能力は、
12人中ぴか一であることの証明か?
しかも大成経は祭主トヨスキイリヒメを選んだのは、天照大神であるとする。
ご神託だ。このような記録が古代天皇家を含む大王家7家に存在したのであろうか。
ホツマで重要なことは、崇神天皇のお母さんイカガシコメ命は、
121歳で皇太后になり、
その祖母ウツシコメ命も162歳で大皇太后になったと御年が
書かれているのはホツマのみである。
そのような記録があったのかどうか?
崇神天皇の母親イカガシコメ命をお祭りする神社は阿波の徳島に一社ある。
全国で阿波のみだ。私も4年前に家内と共に参拝した。
神社は荒れ果て、草茫々であったが、これ阿波古事記説解明の最も重要な事項だ。
崇神天王の即位の年齢は52歳である。これはホツマと大成経のみ。
崇神天皇の妃「大海姫」は尾張の国造り出身だ。
この崇神の時代にすでに海族である海部氏即ち日本海丹後半島に
位置する海部族籠神社神社との関係接点はいかなるものであろうか。
興味が尽きない。
以上述べたことは主に崇神元年に書かれている事である。
崇神2年目の記載はは大成経のみである。
内容は「1年間で天下を治める策を練る」とある。
崇神3年は4書共にこの時期に都を移転し、奈良県桜井市近くの磯城移転。
瑞牆の宮という。
崇神4年はすこぶる大事な記述がある。
日本書紀と秀真は同じような記事であるが、ほつまの方が具体的で且つわかり易い。
新天皇として、如何に国家のお祭りと運営を新しく取り締まる崇神天皇の
胸の内を後世の人が理解できるように描いている。
その中で特に注意すべきは、
神武天皇から開化天皇までお祭りした三種神宝を新しく造り替えた事だ。
これは重大時だ(ホツマのみ)三種の神宝とは1に国常立が取り締まるヲシテ。
2に天照神が取り締まる矢田の鏡。
3に大國玉の神が取り締まる八重垣の剣であると秀真は書く。
ここには勾玉は出てこない。
この神宝を新しく作りなおす崇神天皇の心の奥はいかに。
この時に大國玉の神名がある。
これも阿波古事記成立説となる材料と思われる。
11月19、20日と2日間高島市のホツマツタエの会に参加し、
色々な情報を頂く。どうも神代のホツマ28アヤが伝えるように阿波の国の
どこかの神社にもあるらしい。
ホツマの会の帰りに野洲にある三上神社の切り火の神事に4人が参列する。
三神神社は天皇の国師、故三上照夫氏が若き頃行を重ねた神社だ。
北川(30年御上神社に月1で参拝)、
宮崎(天皇の国師の著者)和田(霊眼と神眼の持ち主)
そして東の4氏である。翌日、三十八神社を参拝し
神社があるお山が神体山であることが判る。
最後に結論1として4書を比較研究すると様々なことが分かり出す。
研究されたい方は、神道同志会セミナーにご参加されてたい。
2016年12月2日