古神道同志会第73回(7月26日序曲)神道と密教2(中村和尚)

「空間を切る」とは・・・それをばじゅら1独鈷で切るとは如何に。

空間は切れるのか。空間を切る概念はどこから出てくるのか。
神道あるいは密教を志す者にとっては初めての事と思う。
又殆ど全員の方々が聞きなれない言葉ではないか。

例えば禅宗の考案に「父母未生以前の我」をいかに自覚するかという公安がある。
これを密教的に言えば空間を切るのに通ずるものがなかろうか。
第72回古神道同志会セミナー終わりかけの午後9時半過ぎだった。
「次回は独鈷を持って来てください…」と語ると
第1回目森の宮神社セミナーから殆ど参加の同志が「空間を切ったらどうなりますか」と聞かれた。

難解な方程式は解けないので難解。解ければ難解でない。言葉は月を指す指。
だから私はあえて『「次回やりますからバジュラが必要。
あえて言うならば、枚岡神社滝行で貴方がやられた「弥栄の滝行」が
その一例と考えられたらいい…何故か。

貴方の滝行を見て今日まで私と共に滝行を300回

(1回に3回以上滝に入るのでその回数は1千回か)
やられた弟分のようなFさんが直会で語っていましたね。あなたの滝行でそこに3回光を見たと。

彼は私が滝行を初めて10年ぐらい経った後から来られた若者だった。
それから22年間で滝行300回やったと云っていましたね』と語っていくと、
「東宮司のあの滝行がそうではないですか…」と語る。
会話は終了。この会話の中にヒント?がある。

中村和尚本の中のヒント?

『日月 空と水を照らす。風神 さまたぐる所なし 同じく説法なり 
人我と共に消亡する。定慧心海に澄ましうれば無縁にしてまさに湯ゆうたり(性靈集)

涙が呆然として流れました。
仏教でいう空とか無我は命の流れが曲線を描いて幾重にも重なっていて、
こちらの世界から別の世界へ渡る接点というか、境界線というか、そのような気が致しました』

空間を独鈷で切ればどうなるか。どのような現象が起きるのか。
物理学的な言葉を選んでいえば、頭の理解では「次元転移・次元転換」そのようになりましょうか。光も絡んでくる。

少し横道にいる。ネットで、密教を調べても、本を読んでも
密教の独鈷が空間を切る道具であるという事は書かれていない。

密教を理性で理解する本としては、
松永有慶慶(高野山大学教授の密教とは何かという著書がよい。
教授の名は中村和尚の本の中に登場し、和尚よりも2年後輩である。
インド・チベット・東南アジアの各地に出かけて密教遺跡の調査研究を続けている
密教学、密教史学の第一人者。著書にこうある。

「密教でよく使われる法具類に金剛杵、先端が一つの独鈷、
3つの三鈷杵5つの五鈷杵といいます。これらは元来武器なのですね、
相手をやっつける為の鯨を取る時のような銛なのです。

それが装飾化されて先の方を尖らせずに内側に向けるようになり
仏教的な意味付けをしていきます。三鈷は身口意の三密を表し、
五鈷杵は五智を表す。これが密教の解釈です」

密教法具についての理解は松永教授のこのような解釈が殆どだ。
密教学者は独鈷が空間を切り、三鈷杵・五鈷杵はエネルギーを
空間に広げる法具であるとは殆ど気が付いていない。

何故、弘法大師招来1、3、5の法具が国宝になっているのか。
何故、弘法大師が長安より日本に持ち帰り1,3、五鈷杵を護摩行の法具として活用したのであろうか。

密教学者がいうように、それは形だけのものではない。
形だけのものが深淵な護摩行法に活用できるのか。
神道と密教に志す若き青年諸君は自身の身体を以て極める事こそ大切だ。
第73回セミナーは初めての試み。実践真似言を通じてどんな説明をするのか。
全てはお任せ。

私は中村和尚の護摩行を近くで見学させて頂いて3つの法具が持つ働きが
明確に理解できたが、護摩行に於いては、理解のみである。
只、叔父(東義照)の祖父は8千枚護摩行を数回焚かれた人
(東禅城―江戸末期高野山の教正)なので、私も神道護摩?を焚いてみたい。
先生は何処に。

2017年7月3日